東京地方裁判所 昭和27年(ワ)1429号 判決
原告 保谷作治
被告 国
一、主 文
被告は、原告に対し金二百十二万一千五十二円及びこれに対する昭和二十五年二月二十日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払うべし。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
この判決は、原告勝訴の部分に限り、原告において金七十万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。
二、事 実
原告訴訟代理人は、被告は、原告に対し金三百五十万円及びこれに対する昭和二十五年二月二十日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払うべし、訴訟費用は、被告の負担とするとの判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、原告は、肩書住所において魚商を営む者であるが、昭和二十五年二月十九日午前十時頃魚類仕入のため訴外染谷昌亮の運転する小型貨物自家用ガソリン自動車四九年式みずしま号(以下オート三輪車という。)の左側助手席に乗車し、東京都中央区築地所在の魚市場に赴くため三宅坂方面から日比谷交叉点に向い、同都千代田区霞ケ関所在都電桜田門停留所附近を進行中訴外藤沼忠左衛門の運転する通商産業省の三十年式パツカード普通大型ガソリン自動車(以下通商産業省の自動車という。)は、原告が乗車するオート三輪車に衝突したものである。すなわち前記のように原告乗車のオート三輪車は、三宅坂方面より日比谷交叉点に向い桜田門警備出張所前を通過し、都電軌道と緑地帯の間の道路(以下疾行車道という。)へ向けてやや右折して進行せんとした途端に、通商産業省の自動車は虎ノ門方面より桜田門に通じ、前記三宅坂方面より日比谷交叉点に通ずる道路(以下A道という。)に対し丁字形にこれと交叉する道路(以下B道という。)を虎ノ門方面から桜田門に向けて進行し来り、右丁字形の交叉点を右折してA道に進入し、原告が乗車するオート三輪車にやや遅れて日比谷交叉点方面に向うに際し、原告乗車のオート三輪車がA道中人道と緑地帯の間の車道(以下緩行車道という。)を進行するものと誤認し、オート三輪車と平行して進行しようとしたため、左前泥除板をオート三輪車の後部車輪止めに衝突せしめたので、オート三輪車は後車輪をA道の緑地帯に乗り上げ、それを越えて車道に降りる際動揺して左側へ転覆し、オート三輪車の左側助手席にあつた原告は、その反動によりアスフアルト敷き道路上に墜落せしめられ、オート三輪車の下敷きとなり左大腿骨折等の重傷を負つたものである。
しかして藤沼忠左衛門の運転する通商産業省の自動車は、虎ノ門方面からB道を通つて桜田門に至り、右折して日比谷方面に進行せんとしたものであるが、桜田門交叉点は丁字路であり、B道よりA道に進入せんとする車は、右折してこれに進入する前に一旦停車しA道を進行中の車と接触ないし衝突しないように注意すべく、又桜田門交叉点において日比谷方面に向い右折してからもその前方に原告の乗車したオート三輪が同方面に進行していたことは明らかに認識しうるところであるから、注意して進行すれば本件衝突を防止出来た筈であるにも拘らず、右各注意を欠き、その義務に違反して停止はもとより徐行もせず、オート三輪車が緩行車道を進行するものと誤信しこれと平行してA道を進行したのは同人の過失であるといわなければならないところ、同人は通商産業省大臣官房厚生課の職員であつて右通商産業省の自動車は通商産業大臣用乗用車で、当日は、前通商産業大臣秘書官訴外中村寛二(但し、本件事故の前日に退官の発令があつた。)ほか三名を乗車せしめて運行中のものであるから、被告の被用者たる藤沼忠左衛門は、被告の事業の執行につき本件加害行為を惹起したものである。そこで被告は、原告に対し本件事故により原告の蒙つた損害の賠償に任ずべき責任がある。
原告は、本件負傷のため直ちに救急車で港区芝田村町所在東京病院に運ばれ、爾後同年五月十一日迄(八十二日間)同病院整形外科に入院して医療を受け、未だ完治するには至らなかつたけれども、医療費用の負担が過大なため、同院の医師に乞うて退院し、その後は自宅で治療を続けた。原告は、結局(1) 右治療のため東京病院に対し入院料、手術料、ギブス料等として支払つた合計金十六万三千五百八十円、(2) 療養中附添看護婦等に支払つた費用合計金十一万九千三百円、(3) 同院退院後の治療費として支払つた合計約十九万円の各積極的損害を受けた外(4) 原告は、前記のように魚商を営むものであるが、右療養中は、営業に従事しえなかつたのみならず、本件事故による負傷により、その健康は、事故前の状態には回復せず、従前の労働力の五分の四を失い、且つ、原告の入院治療中に従前の得意先を失つた。そこで従前は、その営業により一日平均約二千円の純益を得ていたが、事故後はその純益もまた一日に付右金額の五分ノ一に当る金四百円に減じたところ、原告は、本件事故当時四十二歳の健康体男子で、爾後二十年間活動しうるものであるから、本件事故により右期間中に得べかりし純収入合計金千百五十二万円を失い、(5) また本件事故により不具となり身体の自由を失つたほか、充分な活動も不能となり、精神的苦痛を受けているので、その損害は、金銭に見積れば金二百万円に相当する。そこで原告は、本訴において右積極的損害(1) (2) (3) 合計金四十七万二千八百八十円中金二十万円、右得べかりし利益の喪失(4) 金千百五十二万円からホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除した金五百七十六万円中金二百八十万円、右慰藉料(5) 金二百万円中金五十万円、以上合計金三百五十万円及びこれに対する本件事故発生の翌日たる昭和二十五年二月二十日から完済に至るまで年五分の遅延損害金の支払を求めるため本訴に及んだと述べた。<立証省略>
被告指定代理人は、原告の請求を棄却するとの判決を求め、答弁として、原告主張の事実のうち、原告が肩書住所において魚商を営むこと、訴外藤沼忠左衛門が通商産業省の職員であること、原告主張の通商産業省の自動車が通商産業大臣の専用車であること、原告がその主張の日時に訴外染谷昌亮の運転するオート三輪車の左側助手席に乗用し、原告主張の場所を進行し桜田門警備出張所前を通り疾行車道へ向けてやや右折し進行しようとしたこと、藤沼忠左衛門がその運転する通商産業省の自動車に訴外中村寛二ほか二名を乗車せしめ、虎ノ門方面よりB道を桜田門に向け進行し、桜田門交叉点に入つたこと、右交叉点において原告乗車のオート三輪車の後部車輪止めと通商産業省の自動車が接触したこと、ついでオート三輪車が疾行車道の緑地帯に乗上げ、これを越えて車道に降りる際動揺して転覆し、その左側助手席に乗車していた原告がアスフアルト敷道路上に墜落して大腿骨折等の負傷をしたこと、原告が救急車で運ばれて東京病院整形外科に入院し原告主張のような治療を受け、昭和二十五年五月十一日退院したことは認める。原告主張の損害額は不知、その余の事実を否認する。すなわち、本件通商産業省の自動車は通商産業大臣の専用車であつて大臣並びに大臣の同乗者、大臣の送迎する者及び大臣の指示により乗車する者以外の者はこれに乗車させないことになつており、大臣秘書官についてもまたその例外ではないのみならず、本件事故発生の前日通商産業大臣稲垣平太郎及びその秘書官中村寛二は、退官し、藤沼忠左衛門は、稲垣の退官挨拶のため、稲垣及び中村を乗せて退官挨拶廻りを済ませた帰途、中村寛二より明日後楽園まで行きたいから自動車を運転して欲しい旨依頼を受け、乗車の目的が同人の私用であることを察知したが情誼上にわかにこれを拒絶しえない事情にあつたため、本件事故発生の日同人及びその長女を乗車させ、更に文部省前附近において同省副巡視長山本恒次をも同乗せしめてこれを運転進行中、桜田門附近において本件事故が発生したものである。従つて、藤沼忠左衛門は、中村寛二の依頼を受け個人的情誼により同人の私用のため自動車を運転したものであるから、藤沼忠左衛門の本件行為は、通商産業省の業務の執行ではない。次に藤沼忠左衛門は、その自動車を運転してB道より桜田門交叉点に至り、同所において右折して緩行車道に入る考であつたが、時速約十マイル位に減じ交叉点の停止線手前に差しかかつたとき、濠端の道路の歩道寄りを三宅坂方面から日比谷交叉点方向に向つて二台のオート三輪車が約三十メートル位の間隔をおいて進行して来るのを発見したので、フツトブレーキを断続的に踏み徐行しながらこれを注視したところ、右の各オート三輪車は、何等信号することなく、第一台目のオート三輪車は通商産業省の自動車の前方を横切り疾行車道を進行したので、第二台目のオート三輪車(原告乗車)を注視した。その時通商産業省の自動車は、電車軌道を越える位置にあり、右オート三輪車は、桜田門警備出張所寄りの信号燈附近に差しかかり、緩行車道に進入するものの如くであつたが同所で急に斜右に方向を換つたので、疾行車道に向うものと直感して、一旦停車した。なお、この時通商産業省の自動車の前方には、オート三輪車が進路をわずか屈曲させ、速度を加減して進行するならば、疾行車道に向けて進行するに支障がないだけ充分な余裕があつたが、オート三輪車の運転者は、通商産業省の自動車の存在を顧慮せず、また、オート三輪車の後部が前部より著しく広いことに留意せず、その前を時速十五マイルのまゝ直進したので、通商産業省の自動車が停車して約二秒後にオート三輪車の右後車輪止めを右自動車の前面緩衝器左端(原告主張のように左前泥除板ではない)に接触せしめたものであり、爾後オート三輪車の動揺も大したものでなかつたから、停車することもなく進行することができた筈であるが、不注意にも緑地帯に沿つて進行しようとし、左後車輪を緑地帯に乗り上げたまゝ進行したので、同車輪が緑地帯の石囲より転落したはづみの反動で転覆したものであるから、結局藤沼忠左衛門には何ら注意の欠缺はなく、従つて過失もない。また原告の損害の発生の原因となつたオート三輪車転覆と右接触との間には相当因果関係もない。
以上の理由により被告には原告の本件損害を賠償する責任はないが、仮に被告にその責任があるとしても、原告の乗車したオート三輪車の運転者染谷昌亮にも過失があるから過失相殺さるべきものであると陳述した。<立証省略>
三、理 由
原告がその主張の日時に訴外染谷昌亮の運転するオート三輪車の左側助手席に乗車し、三宅坂方面から日比谷交叉点に向い、東京都千代田区霞ケ関所在都電桜田門停留所附近を進行し桜田門警備出張所を経て疾行車道へ向けて稍右折して進行したこと、訴外藤沼忠左衛門の運転する通商産業省の自動車が虎ノ門方面からB道をA道に向けて進行し、日比谷交叉点方面に向い右折しようとして桜田門の交叉点に入つたこと、右交叉点において原告乗車のオート三輪車の後部車輪止めと通商産業省の自動車と接触したこと(通商産業省の自動車の接触部位を除く)、オート三輪車が後車輪をA道の緑地帯に乗り上げ、それを越えて車道に降りる際動揺して左側に転覆し、オート三輪車の左側助手席に乗つていた原告は、その反動によりアスフアルト敷き道路上に墜落し左大腿骨折等の重傷を負つたことは、いずれも当事者間に争がない。
原本の存在及び成立に争がない乙第一号証、証人本山良二、同藤沼忠左衛門、同染谷昌亮、同中村寛二、同加藤嘉男、同小美野鍋吉、同山本恒次の各証言(但し、後記のように信用しない部分を除く)、原告本人訊問の結果を綜合すればオート三輪車が桜田門警備出張所にさしかゝり稍右折して疾行車道を時速約十二、三キロメートルの速度で日比谷方面に進行しようとした際、通商産業省の自動車はオート三輪車よりややおくれて同所に差しかゝつた事実、当時同交叉点は、閃光信号であり、藤沼忠左衛門は、オート三輪車は緩行車道を進行するものと誤認し、速度を時速十マイル位に減じたまま停車することなくこれと併行して進行しようとした結果、その左前泥除板をオート三輪車の後部車輪止めに接触せしめた事実、オート三輪車は、右接触の結果その進路を失つて動揺し、右後車輪を緑地帯に乗り上げた事実を認めることができ右認定に反する証人藤沼、同加藤、同中村、同山本の各証言は信用することができず、他に右認定をくつがえすに足りる証拠はない。ところで、藤沼としては、右の場合B道よりA道に進入するに当りA道に進入前に一旦停車しオート三輪車の通過をまち、その通過した後初めてA道に進行すべき注意義務があるにもかかわらず、これを怠り、オート三輪車は、緩行車道を進行するものと誤認し、単に速力を約十マイル位に減じたまま慢然A道に進行したのは、右注意義務に違反し、過失があるといわなければならない。従つて原告の負傷は藤沼忠左衛門の過失に基因するものと認める。
次に被告は、本件事故は藤沼忠左衛門が被告の事業の執行につき発生したものであることを否認するので、この点につき考察してみるのに、通商産業省の職員である藤沼忠左衛門の運転する本件通商産業省の自動車には、訴外中村寛二外数名の者が乗車していたこと、右中村寛二は、通商産業大臣秘書官であつたが本件事故の前日退官していたことは当事者間に争ないところ、証人藤沼忠左衛門、同中村寛二、同加藤嘉男の各証言を綜合すれば、本件通商産業省の自動車は、通商産業大臣専用車であるが、同車は、大臣の指示する者並びに大臣が送迎する者の乗用に供せられて居り、その他に使用するときは同省大臣官房厚生課自動車班総務係長の個別的な許可が必要とせられていたこと、中村寛二は、本件事故の日の前日迄通商産業大臣秘書官としてこれに乗車して、同大臣の送迎をしていたこと、藤沼忠左衛門は、本件事故の日の前日の夜(すなわち、同日、通商産業大臣稲垣平太郎及びその秘書官中村寛二は退官し、中村は、右自動車で、稲垣の退官挨拶廻りに随行し、同人をその宅に送り届け、同人宅から自宅に帰る途中で)、中村寛二から翌朝同人の自宅から後楽園まで右自動車を運転して貰いたい旨依頼を受けたこと、藤沼忠左衛門は、そのような依頼をうけたが、同日は土曜日であり、右総務係長にこのことを連絡し事前にその許可を得られない事情にあつたことが認められる。しかし、右のような事情の下においては藤沼忠左衛門は、従来からの情誼上中村寛二の右の申出をたやすく拒絶しえなかつたと見るべきであるのみならず、かりに同人において右総務係長に連絡しえた場合においても必ずしもこれを拒絶しえた事情にあるとは断じえないと推認しうる。また中村寛二は、その退官と接着した時期において右通商産業省の自動車を乗用したのであり、中村が、右自動車で、稲垣の退官挨拶廻りに随行し、稲垣をその宅に送り、更に、自宅に帰る為に、右自動車が運転されたのは、業務の執行であることが明らかであり、中村が右乗車中に藤沼に翌日の乗車を依頼し、翌日右自動車が運転されたのは、言わば、業務執行の延長ともいうべきものであるから、結局、藤沼忠左衛門の本件自動車の運転は、なお通商産業省の業務の執行でないとはいえず、本件事故は、同省の業務の執行につき発生したものというべきである。なお被告は、原告の損害を賠償する責任があるとしても、原告の乗車したオート三輪車の運転者染谷昌亮にも過失があるから、被告の賠償すべき額を算定するにつき、斟酌されるべきものであると主張するが、いわゆる「過失相殺」は、被害者にも亦過失あるときはこれに対する損害賠償額を定めるについてこれを斟酌しうるものであるところ、本件においてオート三輪車の運転者は、被害者ではないから、その過失の有無は、被害者たる原告の過失とは無関係であるばかりでなく、原告には本件損害の発生乃至拡大について過失があつたことを認めるに足りる証拠は存在しないから、この点に関する被告の抗弁は採用できない。結局、被告には本件事故により原告に生じた損害をすべて賠償する責任あるに帰する。
そこで原告のうけた損害について調べてみるのに、原告は本件事故によりアスフアルト敷道路上に墜落して大腿骨折等の負傷をしたこと、その場で直ちに救急車で東京病院に運ばれ同年五月十日迄八十二日間同院整形外科に入院して医療を受けその間数回に亘つて手術も施されたことは当事者間に争ない。証人保谷公子の証言及び原告本人訊問の結果(但し、後記のように信用しない部分を除く。)並びに成立に争のない甲第一号証、同第十一号ないし第三十三号証同第三十五ないし第三十九号証、同第四十一号証、同第四十二号証ノ一、二、同第四十三ないし第四十九号証証人保谷公子の証言により真正に成立したと認められる同第四十号証によれば、原告は、右入院により本件負傷は未だ完治するには至らなかつたけれども、医療費用が過大なため同院の医師に乞うて退院し、その後は自宅で治療を続けたが、結局右病院に対し入院料手術料ギブス料等として合計金四万一千四百四十円、附添看護婦等に対し合計金十一万四千三百円、右病院を退院後マツサージ治療等のため合計金九万九千三百円を夫々支払い、原告は、右合計金二十五万五千四十円の積極的損害を受けたこと、原告は、本件負傷により療養中はその営業(原告が魚商を営むことは当事者間に争ない)に従事しえなかつたが、右負傷が一応治癒した後も以前の健康状態には回復せず、左足が痛み、満足に歩行できず、負傷前の労働力の五分の四を喪失したこと、右営業により原告は従前は一カ年につき金三十五万円の事業所得を得て、その中事業税として一カ年につき金七万円、外に相当額の所得税等の税金を支払つていたことが認められ、事業税以外の税金は一カ年につき金八万円程度であると推定されるので、結局、原告は一カ年につき金三十五万円から右を控除した金二十万円のうべかりし利益の内五分の四に当る金十五万円を将来に亘つて喪失したものであると認めるのを相当とする。証人保谷公子の証言、原告本人訊問の結果中右認定に反する部分は措信しない。その他には原告の得べかりし利益が右金額以上であることの証拠はない。しかして原告本人訊問の結果によれば、原告は本件事故当時四十二歳の健康体男子であつたことを認めることができ、通常ならば、爾後六十歳までなお十八年間は活動しうるものなることは顕著なる事実であるから、右十八年間に一カ年につき金十五万円の割合で原告がうべかりし総収益喪失の総額金二百七十万円からホフマン式計算法により中間利息を控除した金額である金百四十二万一千五十二円(円未満切捨)は、原告の右うべかりし利益の喪失の現在における価額である。
最後に前記諸般の状況を参酌すれば原告が本件負傷により蒙つた精神上の苦痛に対する慰藉料は金五十万円が相当と認められるので、結局原告の請求は、右積極的損害合計金二十五万五千四十円中原告の請求する金二十万円、うべかりし利益の喪失による損害金百四十二万一千五十二円、慰藉料金五十万円、以上総計金二百十二万一千五十二円及びこれに対する本件事故発生の日の翌日である昭和二十五年二月二十日から完済に至るまで、法定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当であるからこれを認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十二条本文仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用し、主文のように判決する。
(裁判官 望月録郎 大橋進 長利正己)